原発事故から年月が経過した現在、「ベクれる」という表現は日常のネットコミュニケーションからはほぼ駆逐され、表面的には「死語」と化しています。しかし、報道関係者やネット文化の研究者が警鐘を鳴らすのは、この言葉が残した構造的な負の遺産と、知られざる認知の歪みです。
第一の誤解は、「昔の若者が悪ノリで使った流行語の一つに過ぎない」という過小評価です。知恵袋などで「単なるスランプを指すネット用語か」と勘違いされる現象はその象徴と言えます。しかし実際には、この言葉は単なるスラングを超えて、東北地方の農漁業者や、被災地出身の児童・生徒に向けられた心ないいじめや就職・結婚差別と直結していた歴史があります。単なるインターネットミームとして片付けることは、被災者が実際に受けた人権侵害の重篤さを見誤ることにつながります。
第二の盲点は、「政治的な立ち位置の是非」に矮小化されてしまった点です。原発推進か脱原発かというエネルギー政策の議論と、被災地の人々や生産物に差別的レッテルを貼る行為は、論理的に全く別次元の問題です。しかし当時は、政策論争の道具として「ベクれる」という差別用語が濫用されたため、結果として科学的な放射線リスクコミュニケーションそのものが著しく阻害される事態を招きました。