零下15度を下回る長野県軽井沢。鉄球が山荘の壁を打ち砕く轟音と、容赦なく飛び交う銃声。1972年2月28日、あさま山荘事件の現場でマイクを握り続けた若き日の姿は、今なお語り草だ。凍結で機材トラブルが頻発する極限状態のなか、現場の空気感を的確な言葉で紡ぎ出した生リポートは、テレビの生中継が持つ圧倒的な情報伝達力を日本中に見せつけた。
彼の真骨頂は、突発的な大事件が発生した瞬間のスタジオワークにある。原稿が間に合わない白紙のデスクで、送られてくる不完全なメモの断片を瞬時に精査し、冷静沈着に視聴者へ語りかける。日本航空123便墜落事故や雲仙普賢岳の火砕流災害など、数多くのニュース報道番組で修羅場をくぐり抜けた経験が、揺るぎない報道への矜持を育て上げた。