1964年(昭和39年)8月17日未明、日本中を震撼させる悲報が駆け巡りました。長野県・蓼科高原の別荘で夏期休暇を過ごしていた佐田啓二(本名・中井寛一)は、翌日からのNHKドラマ『虹の設計』の収録に備えて帰京する途路、山梨県韮崎市塩川橋付近の国道20号線で激しい自動車衝突事故に巻き込まれました。
当時の警察調書および報道各社のアーカイブ記録によると、佐田が乗っていた自家用車(トヨペット・クラウン)を運転していたのは雇い入れの運転手でした。深夜の豪雨と濃霧という劣悪な視界のなか、運行スケジュールに追われた運転手が前方の車を強引に追い越そうとしてコントロールを失い、道路脇の巨岩および橋桁に激突したと記録されています。後部座席で仮眠をとっていた佐田啓二は激しい衝撃を受け、韮崎市立病院に緊急搬送されたものの、頭蓋骨骨折および脳挫傷により午前6時30分、帰らぬ人となりました。
奇しくもこの前年である1963年12月には、佐田が父親のように慕っていた小津安二郎監督が60歳で病没したばかりでした。小津の納骨を終え、深い喪失感を抱えながら「小津先生のいない映画界で、自分が大人の男の芝居を背負っていかなければならない」と周囲に誓っていた矢先の惨劇でした。日本中が東京オリンピック開催を目前に控え高揚感に包まれるなか、日本映画界は至宝とも呼ぶべき最大のスターを、あまりにも理不尽な形で失うこととなりました。