1657年(明暦3年)1月、冬の乾燥しきった江戸の町を襲った「明暦の大火」。激しい烈風に煽られた火の手は本郷の本妙寺から瞬く間に燃え広がり、瞬く間に市街地の大部分を呑み込んだ。犠牲者は10万人とも伝えられる未曾有の大災害である。
火勢は武家屋敷を焼き払い、強固な堀と石垣に守られていたはずの城郭中枢へ迫った。強風に乗って飛来した無数の火の粉が、そびえ立つ天守の屋根を直撃する。銅瓦の隙間から侵入した熱気が内部を焼き尽くし、壮麗な白亜の巨塔は黒煙を上げて崩壊した。この瞬間、徳川の威信を物理的に体現していた建造物は灰燼へと帰した。