平安時代初期までの貴族装束は、中国・唐の制度(律令制)を色濃く反映した動きやすい筒袖(つつそで)と帯留めスタイルが主流でした。これが大きく変貌した契機が、寛平6年(894年)の遣唐使廃止です。大陸からの直接的な服飾文化の流入がストップしたことで、日本の気候風土と宮廷文化に合わせた「国風文化(こくふうぶんか)」が急速に醸成されました。
平安貴族の服装が巨大化・重層化した最大の理由は、当時の住環境にあります。貴族が暮らした「寝殿造(しんでんづくり)」は、風通しを最優先した板敷きの開放的な建築様式でした。冬の京都の寒さは底冷えが厳しく、壁の少ない空間で暖を取るためには、布地を何重にも重ね着する物理的な防寒対策が不可欠だったのです。
さらに、ゆったりとした仕立ては「労働をする必要がない支配階級」であることの証明でもありました。袖丈や裾を極端に長く引きずるデザインは、実用性を完全に排除することで特権階級の威厳を誇示する権力構造の象徴へと昇華していったのです。