多くの人が「どこか懐かしい夕焼けの赤」と認識している茜色(あかねいろ)ですが、その起源は縄文時代にまで遡るアカネ科の多年草「茜」の根を用いた植物染料にあります。『万葉集』の額田王による有名な歌「あかねさす紫野行き標野行き…」にも見られるように、「あかねさす」は太陽や昼、光にかかる枕詞であり、古代人にとって茜色は生命力と太陽の光を象徴する神聖な色彩でした。赤根(あかね)という名のとおり、乾燥させた根を煮出して発色させる茜染めは、日光堅牢度が極めて高く、防虫・防寒や血行促進といった薬効をも併せ持っていたと記録されています。
一方、幕末の志士たちを想起させる浅葱色(あさぎいろ)は、藍染めの中でごく薄い青緑色を指す言葉です。ネギの若芽(浅い葱)のような淡い青緑色であることが名前の直接の由来ですが、江戸時代におけるこの色の社会的立ち位置は極めて複雑でした。当初は田舎武士の羽織裏に使われる野暮ったい色と蔑まれ、江戸市中では「浅葱裏(あさぎうら)」と嘲笑される対象でもあったのです。
しかし、新選組が隊服の羽織にこの浅葱色を採用したことで、そのイメージは一変します。当時、浅葱色は「武士が切腹する際に身にまとう死装束の色」としても知られていました。近藤勇や土方歳三らがこの色を掲げた背景には、「いつ何時でも命を捨てる覚悟がある」という強烈な決死の意志が込められていたという説が、近年の幕末史料再検証でも有力視されています。何気なく目にする色の裏側に、当時の生死を分かつ強烈なメッセージが潜んでいる事実は、和色の奥深さを物語る典型例といえます。