事件の背景を解き明かす上で避けて通れないのが、大日本帝国陸軍の内部で渦巻いていた深刻な派閥抗争だ。貧困に喘ぐ農村部を救い、腐敗した政財界を打ち破るべく立ち上がったとされる「皇道派」の青年将校たち。彼らは自らの純粋な忠誠心と国家革新の理念を信じて疑わなかった。
その思想的支柱となったのが、国家改造論者の北一輝である。北が執筆した『日本改造法案大綱』は、私有財産の制限や皇室を中心とする急進的な国家改革を提示し、青年将校たちのバイブルとなった。北一輝は直接銃を取って前線に立ったわけではない。しかし、彼が放つ圧倒的なカリスマ性と理論は、軍内部の反乱分子を突き動かす巨大な精神的黒幕として機能していたのだ。