太宰治の死因は本当に玉川上水での入水自殺だったのか――この疑問に対する法医学的・公的な結論は、玉川上水への入水に伴う溺死(心中自殺)です。失踪したのは1948年6月13日深夜、激しい雨が降り注ぐ中でした。当時38歳だった太宰は、三鷹の自宅近くにあった愛人・山崎富栄の部屋から共に姿を消しました。
当時の玉川上水は現在の穏やかな景観とは大きく異なり、水深が深く流れも急で、一度落ちれば容易には這い上がれない難所として知られていました。捜索は難航を極めましたが、失踪から6日後の6月19日早朝、三鷹橋の上流約1キロ付近で、互いの腰を赤い腰紐で固く結び合った2人の遺体が発見されました。
現場を検視した警察および法医学者の所見によれば、体表に致命的な外傷はなく、肺に水が入っていたことから、直接の死因は水中に沈んだことによる窒息死(溺水死)と確認されています。しかし、なぜ国民的人気を博していた文豪がこのタイミングで命を絶たねばならなかったのか、その経緯には複雑な影が落とされています。