外面的な銃撃戦の裏で、山荘内部は死と隣り合わせの静寂と緊張が支配していた。人質となった牟田泰子さんは、犯人たちから直接の暴行を受けることはなかったものの、いつ爆破・射殺されてもおかしくない極限状態の中に置かれていた。犯人グループ内部でも、追い詰められた焦燥感とイデオロギーの崩壊が進行していた。
後に判明した「山岳アジト殺害事件(総括による仲間殺し)」の凄惨な全貌は、日本社会に底知れぬ衝撃を与えた。革命という理想を掲げながら、内部では凄惨なリンチによって12名もの仲間を殺害していた事実は、あさま山荘での強硬姿勢がいかに空虚な自暴自棄の産物であったかを浮き彫りにした。人質女性は強行突入時に無事救出されたが、彼女が負った精神的トラウマは長きにわたり残ることとなった。