井川遥が芸能界の表舞台で一躍脚光を浴びたのは、ミレニアム前後の1999年から2000年にかけてのことでした。短大卒業後に一度は一般企業へ就職したものの、「本当にやりたいことを見つけたい」とOL生活を半年ほどで辞め、モデルの世界へ転身。1999年に「東四国国体」のイメージガールを務めた後、2000年に名門とされるアサヒビールのイメージガール(第14代)に抜擢されたことが、彼女の運命を決定づけました。
当時23歳から24歳を迎える頃だった彼女のプロポーションと、どこか庇護欲をかき立てるおっとりとした笑顔は、世紀末の張り詰めた空気を漂わせていた日本社会に強烈なインパクトを与えました。全国の飲食店や酒店に掲示された水着ポスターが次々と盗難被害に遭うという、伝説的な騒動がワイドショーを賑わせたのもこの時期です。
優香や本上まなみらとともに「癒やし系」という新語を生み出し、その頂点として「元祖癒やし系クイーン」の異名をとった彼女ですが、当時の手記や特別番組のインタビューでは意外な葛藤を明かしていました。「求められる『癒やし系』のパブリックイメージと、本当の自分との間に大きな乖離があり、カメラの前でどう笑えばいいのか分からなくなった時期があった」という告白です。消費される偶像としての重圧と闘いながら、彼女は必死に自身の足場を固めようとしていました。