袖ヶ浦カンツリークラブの歴史は、日本の高度経済成長期直前である1955年(昭和30年)に遡ります。名匠・和泉一介氏の手によって設計された同コースは、自然の地形を巧みに活かしたフラットかつ重厚な林間レイアウトが特徴です。開場以来、倶楽部組織としての自主運営と厳格なメンバーシップを貫き、関東屈指の格式を保ち続けています。
特筆すべきは、1972年から長きにわたり開催された「ブリヂストンオープン」の存在です。ジャンボ尾崎が通算5勝を挙げるなど、力と技が極限まで試される舞台としてテレビ中継を通じて全国にその名が轟きました。取材陣が関係者に取材したところ、「当時のトッププロが『16番からの上がり3ホールは息が詰まるようなプレッシャーがあった』と振り返るほど、緻密な戦略性が求められる設計」と語られています。単なるフラットな林間コースにとどまらず、随所に配されたガードバンカーや樹齢を重ねた黒松が、現在もプレーヤーに高い壁として立ちはだかります。