稀代のメロディメーカー・織田哲郎氏が作曲を手がけたデモテープが届いたとき、坂井泉水さんはそこにどのような世界を思い描いていたのでしょうか。関係者の証言によると、当初の坂井さんは「受験や就職活動で遠く離れていく恋人」や「仕事に追われて余裕をなくしている身近な男性」をイメージしてペンを走らせていました。全編に漂うどこかノスタルジックで甘酸っぱいトーンは、大衆に向けた演説ではなく、あくまで1対1の親密な関係性から紡ぎ出されたものだったのです。
制作の大きな転換点となったのは、ビーイング創業者である長戸大幸プロデューサーとのスタジオセッションでした。坂井さんが最初に書いたサビの歌詞は、「最後まであきらめないで」というフレーズでした。当時、深夜のスタジオでボーカル録音を進めるなか、長戸氏から「『あきらめないで』だと少し言葉として重く、日常の会話に寄りすぎている。『走り抜けて』に変えてみたらどうだろうか」という提案が入ります。
坂井さんは即座にノートを広げ、語感を吟味しました。「あきらめないで」から「走り抜けて」への変更は、単なる言葉の置き換えにとどまりませんでした。動詞が「走る」という具体的な肉体運動のイメージを帯びたことで、歌詞世界が部屋の片隅から一気に青空の下、風が吹き抜けるトラックへとパノラマのように広がったのです。過度な生々しさを削ぎ落とし、聴き手それぞれの人生のステージを投影できる「余白」を設計したことこそ、のちに本作が普遍的な応援歌へと進化を遂げる最初のメルクマールでした。