本作の最大の文学的論点であり、現代の考察コミュニティでも激論が交わされ続けているのが、この「2通目の手紙の真偽」です。物語は2通目の手紙が提示された瞬間に幕を閉じるため、真相は読者の推理に委ねられています。文芸批評および心理学的観点から検証すると、主に3つの解釈が成立します。
第1の説は「完全なる創作(悪戯)説」です。作家志望の青年が、人気作家である佳子を驚かせ、批評を得るために送った純然たるフィクションであったという解釈です。この場合、佳子の書斎の椅子に誰かが入っていた事実自体が存在せず、怪談めいた悪戯として物語は着地します。
第2の説は「事実隠蔽・逃亡説」です。男の告白は紛れもない真実であり、手紙を読んだ佳子が恐怖で絶叫し、椅子から転がり落ちる物音や気配を椅子の内部で察知した男が、「警察に通報されれば逃げ場がない」と瞬時に判断して機転を利かせ、即座に2通目の手紙を女中に託して逃亡を図ったという見方です。この解釈をとる場合、男は書斎の外、あるいは邸宅のすぐ近くに潜んで佳子の反応を観察していたことになります。
第3の説は、より背徳的な「精神的支配(ガスライティング)説」です。男は佳子を肉体的に襲うのではなく、手紙を通じて「安心できるはずの自宅がすでに侵食されていた」という絶対的な猜疑心を植え付け、彼女の精神を崩壊させること自体を目的としていたという心理サディズムの構造です。2通目の手紙によって「すべてはフィクションだったのか?」と思わせることで、佳子は今後一生、あらゆる家具や日常の気配に疑心暗鬼となり、男の影に怯え続けることになります。