文学の至高の境地であったはずの概念が、なぜネット空間で「炎上」や物議を醸すニュースとして取り沙汰される事態に至ったのでしょうか。その経緯を遡ると、言葉の安易なビジネス転用と、そこから生じた決定的な「誤読」が存在します。
発端となったのは、とある大手新興企業の経営陣が社内訓話およびオウンドメディア上で「若手社員は則天去私の精神で、我が強すぎる我欲を捨て、チームと事業の成長にすべてを捧げよ」と発信したことでした。これがX(旧Twitter)や各種まとめサイトに転載されるや否や、「無私の精神を盾にした時間外労働の強要だ」「滅私奉公の言い換えに文豪の言葉を使うな」といった激しいバッシングが巻き起こり、数万件規模の引用リポストを記録する炎上劇へと発展しました。
ネットの噂の真相を追跡取材すると、批判の根底にあるのは「個人の尊厳を押し潰すための道具」として美名が使われることへの強いアレルギーです。本来、漱石が説いた「私を去る」とは、権力や組織に対して従順になれという意味では毛頭ありません。むしろ、当時の国家主義や画一的な集団同調圧力に激しく反発し、『私の個人主義』において「自己の個性を重んじるならば、他人の個性も等しく尊重しなければならない」と説いた漱石の文脈を完全に無視した曲解だったのです。