松江しんじ湖温泉駅とJr松江駅はなぜ離れた?出雲大社行き方の真相

松江しんじ湖温泉駅とJr松江駅はなぜ離れた?出雲大社行き方の真相

松江しんじ湖温泉駅とJr松江駅はなぜ離れた?出雲大社行き方の真相について見逃せない 注意点を分かりやすく解説いたします。

山陰の観光計画を立てる際、地図を精査せずに「松江駅」と「松江しんじ湖温泉駅」を同一のターミナルだと誤認してしまうトラブルは頻発しています。結論から言うと、両駅は完全に独立した別の駅であり、徒歩で行き来するには成人男性の足でも25分から30分程度を要します。

なぜ同じ「松江」を冠する主要駅がこれほど離れているのでしょうか。その疑問を解き明かす鍵は、松江しんじ湖温泉駅の旧北松江駅としての歴史経緯に隠されています。

時を遡ること明治末期、官設鉄道(現在のJR山陰本線)が松江に敷設された1908年(明治41年)、当時の松江駅は市街地の南側、水田や湿地帯が広がっていた南殿町エリアに設置されました。城下町の中心地であった松江城周辺や北側の武家屋敷街からは距離があったものの、広大な鉄道用地を確保するには南側を選択せざるを得なかったという背景があります。

一方、出雲大社方面から東進してきた一畑電気鉄道(通称・ばたでん)が松江に乗り入れたのは、昭和初期の1928年(昭和3年)のことでした。一畑電車は市民や城下町住民の利便性を高めるため、城下町北側の玄関口として宍道湖畔に終着駅を建設しました。これこそが現在の駅の前身である「北松江駅」です。

両駅の間には、宍道湖と中海を結ぶ一級河川「大橋川」が横たわっています。昭和初期の土木技術と当時の採算性において、川幅のある大橋川に鉄橋を架けて私鉄を国鉄松江駅まで延伸することは、莫大な建設費と舟運への影響から現実的ではありませんでした。こうして、城下町の北を支える私鉄ターミナルと、南を走る幹線鉄道という「南北二極構造」が決定づけられたのです。

その後、1970年代に駅周辺で地下1,250メートルから約77度の良質な温泉が湧出したことで、一帯は「松江温泉」として急速に発展しました。これに伴い、駅名も「北松江駅」から「松江温泉駅」へ、そして2002年(平成14年)には現在の「松江しんじ湖温泉駅」へと改称され、観光拠点としてのブランディングが進められていきました。

高橋 健太
著者

高橋 健太

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。