高校時代、週刊誌やネットニュースで頻繁に取り沙汰されたのが「慶應義塾大学医学部への進学内定」という報道でした。この「医学部進学説」がなぜこれほどまでに拡大し、どのような経緯で法学部進学へと着地したのか、その構造的背景を紐解きます。
噂の原点は、彼女が小学校高学年当時のインタビューで「将来は病理医になりたい」「医学の道にも興味がある」と語ったことにあります。細胞レベルから病気の原因を究明する病理医という職業に強い関心を示したことで、世間やメディアは「天才子役が名門医大生へ」というドラマチックなシナリオを描き、報道が一人歩きする形となりました。
しかし、慶應義塾女子高校から慶應義塾大学医学部へ内部進学できる枠は、学年全体(約200名)のうちわずか3〜5名程度という極めて狭き門です。高校3年間の全科目の評定がほぼ満点に近い「トップ中のトップ」でなければ推薦枠を獲得できません。彼女の成績は学内でも極めて優秀でしたが、高校2年生から3年生へと進級する過程で、理系特化の医学研究よりも、自身がライフワークとする文学・社会科学・人間心理への探求に関心がシフトしていったことが伝えられています。過熱した医学部進学説はメディア側の先走った期待値であり、本人は一貫して自身の興味と適性を冷静に見極めた上で、自らの意思で法学部政治学科を選択しました。