物語に夢中になり、仏道修行や現実的な生活基盤の構築を怠ってきた孝標女は、中年期以降、相次ぐ夢告(夢の中でのお告げ)に悩まされます。かつて熱心に祈った薬師仏が夢に現れ、彼女の怠惰を戒める場面は日記の重要な転換点です。
平安時代において、虚構の物語を好むことは「嘘八百に心を奪われ、極楽往生を妨げる罪深い行為」と見なされる側面がありました。孝標女は、夫を失い、子らが自立した孤独な老後の中で、「若い頃にもっと仏道に励んでいれば、このような惨めな晩年にならずに済んだのではないか」と激しい悔恨を吐露します。
しかし、『更級日記』の真の凄みは、単なる宗教的反省文に終わっていない点にあります。悔恨の言葉を重ねながらも、かつて物語を読んだときの瑞々しい感動を鮮烈な筆致で描き切っており、「罪と知りながらも物語を愛し抜いた自分」を完全に否定することはしていません。このアンビバレントな葛藤こそが、本作品を日本文学屈指の内省的傑作たらしめている理由です。