1974年にノーベル財団が佐藤栄作への平和賞授与を発表した際、国内外からは称賛だけでなく強い批判と疑問の声も上がった。当時、ベトナム戦争への後方支援や米軍基地の存在を理由に、日本の平和主義に対する疑念を抱く国際メディアも少なくなかったからだ。
選考委員会が佐藤を選出した背景には、冷戦下の地政学的バランスと、東アジアにおける非核化運動の象徴としての日本を評価したいという強い意図があった。しかし、授賞理由と実際の安全保障政策との間に存在するギャップは、その後数十年にわたり政治学者の間で議論の標的となった。理想主義的な「非核の誓い」と、現実主義的な「核の傘」という二律背反を抱えた受賞劇は、ノーベル平和賞の歴史においても極めて異彩を放つ事例として記録されている。