彼らの最大の武器である栃木弁を前面に押し出した漫才は、一朝一夕で生まれたものではない。結成当初、若手お笑い事務所「アミーパーク」に所属していた二人は、東京のライブハウスで試行錯誤を繰り返していた。当初は標準語でネタを披露していた時期もあったというから驚きだ。
しかし、自分たちの地元の言葉である栃木弁を解禁した瞬間、爆発的な化学反応が起きた。「茨城県への強烈なライバル心」や「地元愛に溢れたあるあるネタ」をテンポよく繰り出すスタイルは、一気に観客の心を掴んだ。無理に作られたキャラではなく、等身大の素顔を泥臭く表現したことこそが、ブレイクへの決定的な転換点となったのだ。