名物「宝来そば」が朱塗りの五段重で運ばれてくると、思わず背筋が伸びる。金粉を散らした器の蓋を開けた瞬間に立ち上る、挽きぐるみの蕎麦の野生味を帯びた香り。この料理は単なる食事ではなく、ひとつの体験だ。かつて金箔職人が散らばった金粉を集めるために蕎麦粉を団子状にして丸めたことから、蕎麦は「宝を集める縁起物(宝来)」として重宝されてきた。その故事が、この一椀に凝縮されている。
味の骨格を支えるのは、職人たちが「命」と呼ぶ出汁だ。利尻昆布のまろやかな旨味に、宗田節、鯖節、ウルメ節を絶妙な比率で重ね合わせ、澄み切った地下水でじっくりと引き出す。京料理・和食文化が到達したひとつの極致とも言えるこの琥珀色の液体は、角が一切なく、深いコクの余韻だけを残して喉を滑り落ちていく。
薬味皿には、海苔、小海老の天ぷら、錦糸卵、甘露煮の椎茸、大根おろし、白胡麻、わさび、ねぎが美しく整列する。一段ごとに組み合わせを変え、出汁をひと回しして啜る。甘辛い椎茸の滋味と香ばしい胡麻が重なり合い、最後の一口まで驚きが途切れない。食べ終えたあとの蕎麦湯を注ぐと、出汁に溶け出した薬味の風味が再び立ち上がり、豊かな調和が胃の腑へと染み渡っていく。