日本が開戦の道を選択した決定的な契機は、1941年7月から8月にかけて起きた「対日資産凍結」と「対日石油禁輸」という、事実上の経済全面戦争の通告でした。
事態を不可逆的に悪化させた最大の要因は、1940年9月の日独伊三国同盟の締結と、1941年7月の南部仏印進駐(現在のベトナム南部への軍隊進駐)でした。ナチス・ドイツの欧州制覇に便乗する形で南進した日本の行動は、米英にとって「太平洋全域を武力で塗り替えようとする明白な拡張政策」と受け取られたのです。
ルーズベルト米大統領は即座に在米日本資産の凍結を命じ、間髪を入れずに石油の対日全面禁輸に踏み切りました。当時の日本の石油備蓄は平時消費で約2年分、戦時消費であれば1年半足らずで底をつく計算でした。「座して死を待つか、それとも資源の眠る蘭領東インド(インドネシア)へ打って出るか」――軍部と指導層は、自らが招いた戦略的孤立によって極限の二者択一へと追い詰められていったのです。