現在の華々しい活躍からは想像し難いことですが、津田健次郎の歩みは決して順風満帆なエリートコースではありませんでした。過去の特番インタビューや自著・手記で語られたエピソードは、壮絶を極める下積み時代の連続です。
少年時代から映画監督を志していた彼は、明治大学文学部演劇学専攻に進学し、やがて自らの身体表現を学ぶために名門「演劇集団 円」の研究所の門を叩きます。しかし、舞台俳優としての生活は極めて困窮を極めました。当時の手記には「電気が止められて真っ暗な部屋で過ごした」「100円のパンをどう切り分けて数日間食いつなぐか計算していた」といった生々しい告白が残されています。
転機となったのは1995年、オーディションをきっかけにテレビアニメ『H2』の野田敦役で声優デビューを果たしたことでした。しかし、当初は舞台演技とマイク前の演技のギャップに苦悩し、長きにわたり声優界の端っこで試行錯誤を繰り返す日々が続きます。そうした下積み期に培われた「言葉の一つひとつに全神経を注ぎ込む執念」が、前述の『遊☆戯☆王』海馬瀬人役での爆発的なブレイクへと結実しました。
その後、洋画吹き替えの世界でコリン・ファレルやアダム・ドライバー(『スター・ウォーズ』シリーズのカイロ・レン役)などの実力派ハリウッド俳優の声を一手に引き受け、業界内で「演技の確かさ」を完全に定着させます。さらに、NHK連続テレビ小説『エール』での語りおよび顔出し出演を契機に、テレビドラマ界からのオファーが殺到することとなりました。
TBS系金曜ドラマ『最愛』での山尾係長役や、日曜劇場『ラストマン-全盲の捜査官-』における事件の真相を握るキーパーソン・鎌田國士役で見せた魂を削るような鬼気迫る演技は、「声優がドラマに出ている」という色眼鏡を完全に粉砕しました。下積み時代に小劇場の冷たい板の上で泥水をすするように積み上げてきた演技の筋肉が、50代を迎えて実写映像の舞台で巨大な花を咲かせたのです。