分類を複雑にしている根源には、600年以上続いたオスマン帝国とヨーロッパの歴史があります。オスマン帝国は1453年にビザンツ帝国の首都コンスタンティノープル(現イスタンブール)を陥落させ、バルカン半島から東欧の大部分を数世紀にわたり支配しました。二度にわたるウィーン包囲など、ヨーロッパ諸国にとってオスマン帝国は「最大の脅威」であると同時に、勢力均衡を図る欧州外交の主要アクター(プレイヤー)そのものでした。
しかし、第一次世界大戦の敗戦によって帝国は解体。1923年に建国されたトルコ共和国の初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクは、国家の生き残りをかけて徹底的な近代化・西欧化を推進しました。これがトルコイスラム教と世俗主義の真相です。
アタテュルクはイスラム法(シャリーア)を廃止してスイス民法やイタリア刑法を導入し、アラビア文字を廃止してラテン文字(アルファベット)を採用。女性の参政権を欧州の主要国よりも早く認めました。国教としてのイスラム教規定を憲法から削除し、「政教分離(世俗主義:ライシテ)」を国家の基本理念に据えたのです。
この結果、トルコは「国民の圧倒的多数がイスラム教徒でありながら、法と政治システムは完全に西欧型」という、世界でも極めて特異なハイブリッド国家となりました。ただし、2000年代以降のエルドアン政権下では、国民の伝統的なイスラム信仰を重視する政策への回帰も見られ、中東の盟主としての存在感を高める動きと、西欧的世俗主義の間で常に揺れ動いています。