名将の足跡を振り返る上で、指導者としての出発点を抜きに語ることはできません。野々村直通の経歴における最初の金字塔は、広島県の府中東高校時代に築かれました。1973年、同校の美術科教諭として赴任すると同時に野球部監督に就任。当時無名だった公立高校を猛烈な情熱で鍛え上げ、1979年春の第51回選抜高校野球大会において、初出場ながら準優勝という奇跡的な快挙を成し遂げたのです。
その後、故郷である島根県に戻り、1988年に松江第一高校(現・開星高校)へ着任します。当時の同校は生徒指導が困難を極め、野球部も規律を失った状態にありました。野々村氏は就任直後から徹底した環境浄化と生活指導に着手します。「野球の技術以前に、挨拶と靴を揃えることができない人間に勝利の女神は微笑まない」という信念のもと、グラウンドの内外で泥臭い指導を重ねました。
その結果、荒れていた開星高校野球部は急速に力をつけ、島根県屈指の強豪校へと変貌を遂げます。春夏合わせて通算10回(春3回、夏7回)もの甲子園出場を果たし、「山陰に開星あり」と全国にその名を知らしめました。一見すると型破りな指導スタイルに見えながら、徹底した選手観察と心理的アプローチを怠らない緻密さが、その強さを支えていたのです。