昭和の教育熱狂期から平成の予備校全盛期にわたり、九州の受験シーンを牽引した九州英数学舘が、なぜ一般大学受験科の閉校を決断したのか。その閉校理由と閉鎖の経緯を辿ると、単なる一校の経営問題にとどまらない、日本の人口動態と予備校産業の激変が浮き彫りになります。
九州英数学舘が一般大学受験科の募集停止・閉鎖へと踏み切ったのは1999年のことでした。当時、教育界を揺るがした最大の要因は「18歳人口のピークアウト」と「東京メガ大手予備校の地方大攻勢」という二重の衝撃でした。日本の18歳人口は1992年に約205万人のピークを迎えた後、急激な減少期へと突入。地方の浪人生市場は瞬く間に縮小へ向かいました。
さらに決定打となったのが、福岡・天神エリアへの大手全国展開予備校の進出です。1980年代後半から1990年代にかけ、河合塾や駿台予備学校、代々木ゼミナールが最新設備と衛星通信授業(サテライン等)、そして全国一斉模試の圧倒的データ力を武器に福岡校を開校。地元密着型で愚直な対面指導を貫いてきた九州英数学舘をはじめとする地元の雄は、資本力と全国スケールの情報戦という巨大な波に直面しました。
当時の関係者の証言や教育業界誌の記録によると、九州英数学舘は泥沼の生徒獲得競争や過度な価格競争に埋没する消耗戦を避け、教育機関としての生き残りをかけた抜本的な業態転換を決断。1999年に一般大学受験科の幕を閉じ、すでに1991年に立ち上げていた外国人留学生向けの教育事業へと舵を切ったのが、閉鎖の知られざる舞台裏です。