植物学の厳密な定義に照らし合わせると、古代インドの聖典に記された樹木と、日本の庭園で鑑賞されている花は、科も属も全く異なる別物です。
古代インドの沙羅双樹はフタバガキ科に属する熱帯性高木「サラノキ(Shorea robusta)」を指します。樹高は30メートルを超える巨木となり、初春に淡い黄白色の小花を房状にびっしりと咲かせ、ジャスミンのような芳香を漂わせます。しかし、サラノキは耐寒性が極めて低く、日本の気候環境(冬の寒さ)では屋外越冬ができません。
一方、日本の寺院や日本庭園で「沙羅双樹」の名札が掲げられているのは、日本原産のツバキ科落葉高木「ナツツバキ(夏椿/Stewartia pseudocamellia)」です。初夏(6月中旬〜7月上旬)に直径5〜6センチほどの清楚な白い五弁花を咲かせます。仏教が中国を経由して日本へ伝来した際、本物のサラノキを持ち込めなかった僧侶たちが、純白の清楚な花を咲かせ、かつ一日で潔く散るナツツバキの姿に仏教的無常観を重ね合わせ、「沙羅樹」に見立てたのが始まりです。
日本国内で温室を用いずに本物のサラノキを開花させた例としては、滋賀県草津市立水生植物公園みずの森などが有名ですが、開花は技術的にも極めて難しく、数年に一度の貴重なニュースとして報じられるほどです。日常的に神社仏閣で鑑賞できる「沙羅双樹」は、すべて日本人の美意識が育んだ夏椿であると理解するのが正確です。