『戦場のピアニスト』実話の真相|救った将校の壮絶な末路と奇跡の全貌

『戦場のピアニスト』実話の真相|救った将校の壮絶な末路と奇跡の全貌

今注目を集めている 『戦場のピアニスト』実話の真相|救った将校の壮絶な末路と奇跡の全貌について、多角的な視点をご紹介しています。

インターネット上の感想やレビューでは、時折「ホーゼンフェルトはたまたまピアノが弾けるシュピルマンに出会ったから助けたのではないか」「芸術を愛するロマンチストだっただけの偶然の美談ではないか」といった見解が散見されます。しかし、遺された一次資料を検証すると、これは明らかな誤解であることが分かります。

戦後発見されたホーゼンフェルト自身の日記と妻への手紙には、ナチズムの狂気に対する激しい嫌悪と絶望が克明に綴られていました。1942年の日記には、次のような激しい自己批判が記されています。

「我々は言い逃れのできない恥辱にまみれている。罪もない民衆、女や子供を家畜のように虐殺しておきながら、この戦争に勝てるはずがない。神の罰が下るだろう」

彼はシュピルマンに出会うはるか以前から、ワルシャワ市内の陸軍スポーツ施設責任者という立場を悪用(カモフラージュ)し、逮捕状が出ている反ナチ派のポーランド人やユダヤ人を雇用して身分証明書を与え、命を救い続けていました。確認されているだけでも、彼は少なくとも数十人の生命を救済しています。シュピルマンへの食糧支援は、突発的な同情ではなく、彼が極限状況の中で貫き通した「人間としての道義的抵抗」の延長線上にあった必然の行動でした。

もうひとつの誤解は、「シュピルマンは恩人である将校を簡単に見捨てたのではないか」という無情論です。これも事実とは正反対です。シュピルマンは解放直後、将校の姓が思い出せず、ただ「ドイツ軍の将校コートを着ていた」ことしか分からなかったため捜索が難航しました。名前が判明した1950年以降は、ポーランド共産主義治安当局の厳しい監視下で逮捕されるリスクを冒してまで、ソ連当局に何度も嘆願を行いました。共産主義独裁体制という圧倒的な国家権力の前に、個人の叫びが届かなかったに過ぎません。

山田 真由
著者

山田 真由

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