腹膜がんと診断された後も、田部井氏が情熱を注ぎ続けた活動の一つが、東日本大震災の被災地の高校生たちと共に富士山に登るプロジェクトだった。自身も福島県出身である彼女は、傷ついた若者たちに「山登りを通じて困難を乗り越える力を育んでほしい」と強く願っていた。自らの余命を意識せざるを得ない身体でありながら、プロジェクトの先頭に立ち続けた。
亡くなるわずか数ヶ月前、体力が著しく低下するなかでも彼女は富士山の7合目まで登り切り、高校生たちを笑顔で励まし続けた。命の灯火が消えかかるその瞬間まで、他者のためにエネルギーを注ぎ込んだその姿は、周囲のスタッフや参加した生徒たちの心に一生消えない灯をともした。病気だからといって下を向くのではなく、最期の瞬間まで他者と共に山を愛し抜いた壮絶な半生は、まさに彼女の真骨頂であった。