世界遺産の深層!田島家養蚕展示館の見どころと歴史の真相に迫る

世界遺産の深層!田島家養蚕展示館の見どころと歴史の真相に迫る

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群馬県伊勢崎市境島村が、なぜ近代日本の絹産業において中枢の役割を果たしたのか。その核心にあるのが、田島弥平が確立した画期的な養蚕技法「清涼育(せいりょういく)」です。

江戸時代後期から幕末にかけての養蚕は、人工的に火鉢などで室内を暖める「温暖育」が主流でした。しかしこの手法は換気が不十分になりやすく、蚕が病気にかかって全滅するリスクを常に抱えていました。弥平はこの課題を克服するため、利根川沿いの島村に吹き抜ける自然風に着目。換気と温度管理を徹底する「清涼育」を考案し、屋根の上に換気窓を備えた画期的な養蚕家屋を完成させたのです。

さらに弥平の功績は技法の確立にとどまりません。1872(明治5)年に著した『養蚕新論』は、日本初の本格的な養蚕技術書として全国に普及し、日本の養蚕レベルを一気に底上げしました。展示館の解説パネルや古文書を読み解くと、彼が単なる農民ではなく、綿密なデータ計測と試行錯誤を重ねた卓越した科学者・エンジニアであった実態が浮き彫りになります。

1860年代、微粒子病の猛威によって壊滅的打撃を受けていたヨーロッパの養蚕業を救うため、島村の蚕種は海を渡りました。明治初期にはイタリアやフランスへ蚕種を直接輸出し、富国強兵の貴重な外貨獲得源となったのです。近代化遺産としての群馬の原点が、この島村の地に息づいています。

池田 達也
著者

池田 達也

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。