『火垂るの墓』を生み出した野坂昭如の経歴は、昭和から平成の日本文化史において極めて特異かつ多才な足跡を残しています。1930(昭和5)年に神奈川県で生まれた野坂は、生後まもなく神戸の叔母夫妻の養子となり、裕福な家庭で少年期を過ごしました。しかし、1945年の神戸大空襲によって養父を失い、生活は一変。14歳にして過酷な焼け跡のサバイバルを強いられることになります。
戦後は早稲田大学仏文科中退後、放送作家、CMソングの作詞家(『おもちゃのチャチャチャ』など)、雑誌編集者、ルポライターとして活躍。「焼け跡闇市派」を自称し、1967年に自身の過酷な戦争体験を凝縮した二大中編小説を発表します。それが『アメリカひじき』と『火垂るの墓 原作 小説』でした。
この2作によって野坂は第58回直木賞を受賞。文壇での地位を不動のものにした後も、歌手、タレント、さらには参議院議員に当選するなど、既存の枠に収まらない異色の知識人として社会に鋭い警鐘を鳴らし続けました。しかし、どれほど名声を獲得しても、少年時代に刻まれた傷痕が癒えることはありませんでした。