時代劇映画の黎明期から隆盛期にかけて欠かせない重鎮として名を馳せた天津七三郎(あまつ しちさぶろう)は、明治から大正、昭和の激動期を駆け抜けた正統派の時代劇俳優です。
幼少期より伝統芸能である歌舞伎の世界に身を置き、基礎的な発声法、所作、そして日本舞踊と殺陣の基礎を徹底的に叩き込まれました。その後、新派や新国劇の劇団を経て活動の場を急速に拡大していた活動写真(映画)の世界へと進出します。当時、映画はサイレント(無声映画)からトーキー(発声映画)への大転換期にあり、台詞に頼らず身体表現と表情だけで観客を圧倒できる歌舞伎出身の俳優は、映画製作現場において極めて重宝される存在でした。
大正末期から昭和初期にかけて、牧野省三率いるマキノ・プロダクションや新興キネマ、東活映画社などの名門スタジオを渡り歩き、主演スターを引き立てる敵役や、物語の鍵を握る重厚な武士役として起用されます。監督の意図を瞬時に汲み取る現場対応力と、立ち回りの美しさによって、瞬く間に「時代劇に天津七三郎あり」と言わしめる確固たる地位を確立しました。