リバティーウォークを語る上で、創業者である加藤渉代表の経歴と真相に触れないわけにはいきません。1967年生まれの加藤代表は、地元・愛知県でいわゆる昭和の暴走族カルチャーや「街道レーサー」「グラチャン」と呼ばれる熱狂的な改造車ブームの洗礼を浴びて育ちました。
1993年、26歳で愛知県尾張旭市にわずか3台の中古車から「リバティーウォーク」を創業。当初は一般的な中古車販売店としてスタートしましたが、加藤代表の胸にあったのは「車好きの若者が減っていく時代に、誰もが振り返る最高にワクワクする車を作りたい」という純粋な衝動でした。その衝動が形となったのが、かつて日本の若者がサバンナRX-3やスカイラインに施していた「ワークスフェンダー」のスタイルを、世界最高峰のイタリアンスーパーカーに移植するという破天荒なアイデアです。
2008年、米国ラスベガスで開催された世界最大のカスタムカーショー「SEMAショー」にランボルギーニ・ムルシエラゴを出展した際、現地の純血主義者たちからは猛烈な批判を浴びました。「神聖なイタリアの芸術品を傷物にした」「正気の沙汰ではない」とメディアに叩かれた加藤代表でしたが、その反動として、YouTubeや黎明期のSNSを通じて世界中の若者たちの心を鷲掴みにしました。
社会学的に見れば、これは「高級貴族の記号」であったスーパーカーに対する、極めて日本的な「ストリートカルチャーの脱構築(デコンストラクション)」と位置付けられます。ハイソサエティな閉鎖的コミュニティが独占していた権威を、大衆のカウンターカルチャーが鮮やかに塗り替えた瞬間でした。加藤代表が自著やインタビューで語る「人の目を気にして生きるな、自由に歩め」というメッセージは、車好きの枠を超えて、息苦しさを抱える現代人の心に深く刺さっています。