物語後半、杉元佐一と菊田が再会した際、菊田が杉元を「ノラ坊」と呼んだシーンは多くの読者を驚かせました。この呼び名の裏には、日露戦争前、東京を舞台にした哀しくも温かい因縁が存在しています。
日露戦争が勃発する前、菊田は東京の第一師団に所属していました。その頃、東京・浅草の街で荒んだ生活を送り、野良犬のように誰にでも噛みついていた若き日の杉元と出会っています。当時から向こう見ずで凶暴な反面、どこか純粋で孤独を抱えていた杉元を、菊田は「野良犬のような坊主」という意味を込めて「ノラ坊」と名付け、何かと気にかけて面倒を見ていました。
菊田が杉元を気にかけていた最大の理由は、自身が戦死させてしまった実弟の存在にあります。菊田にはかつて軍人として共に歩みながらも、日露戦争の激戦で命を落とした弟がいました。危なっかしく生き急ぐ杉元の姿に、どうしても救えなかった弟の面影を無意識に重ね合わせていたのです。金塊争奪戦という血生臭い利害関係を超え、菊田が杉元に向ける眼差しには、常に不器用な兄心と贖罪の念が滲んでいました。