東京地裁で行われた公判傍聴記録や証言から浮き彫りになったのは、悪質な私利私欲というよりも、「巨大国家イベントを絶対に失敗させてはならない」という強烈な同調圧力と病的な電通依存でした。
公判の中で森泰夫被告は、起訴内容を全面的に認め、法廷で深く頭を下げました。当時の心境について語られた手記や被告人質問の記録によると、現場の体制は圧倒的な人手不足に喘いでおり、競技会場ごとの複雑な運営ノウハウを持つ人材は民間広告代理店、とりわけ電通に頼らざるを得ない構造でした。「電通側から提案された割り振りに頼らなければ、本番に穴が開いてしまうという恐怖心があった」という趣旨の供述は、現場の生々しい閉塞感を物語っています。
一方、この談合スキームを森喜朗元会長が把握していたのかという点について、森泰夫氏は公判において「森元会長から特定の企業を受注させるよう指示されたことはない」と証言しています。会長という最上層部と、運営局次長という実務層の間には複数の階層が存在し、談合の直接的な調整は森泰夫氏と電通スポーツ局幹部らとの極めてクローズドな現場ラインで進められていました。
結果として森泰夫氏には懲役2年・執行猶予4年の有罪判決が言い渡されました。裁判長は「公正な入札手続きを形骸化させた責任は重い」と断じつつも、個人的な金銭利得がなかったことや事実関係を認めて反省の態度を示している点を考慮し、執行猶予を付す判断を下しました。