世界中で標準となっている「1, 2, 3, 4, 5」という記号は、英語では「Arabic numerals(アラビア数字)」と表記されます。それにもかかわらず、中東のアラブ諸国で主に使用されている数字は「東アラビア数字(またはインド数字)」と呼ばれる別系統の字形です。このねじれ現象の背後には、6世紀から13世紀にかけてユーラシア大陸を駆け巡った科学史の壮大なドラマが存在します。
数字の位取り記数法と「ゼロの概念」を発明したのは、6世紀頃の古代インドでした。この優れた計算体系が8世紀頃、イスラム黄金期を迎えていたバグダードのアッバース朝に伝わります。大数学者アル=フワーリズミーらがこれを改良・体系化し、アラビア語の学術書としてまとめ上げました。
その後、この記数体系は西と東の2つのルートへ枝分かれしました。
- 西ルート(マグレブ・アンダルス経由):北アフリカからイスラム支配下のイベリア半島(現在のスペイン)を経由してヨーロッパへ流入。イタリアの数学者フィボナッチが1202年に著した『計算の書(Liber Abaci)』などを通じて全欧へ普及し、印刷技術の発展とともに現在の「西アラビア数字(算用数字:1, 2, 3...)」へ進化しました。
- 東ルート(マシュリク・中東地域):バグダードを中心とする中東東部地域にとどまり、アラビア文字の筆記スタイルと融合しながら独自の書体を形成。これが現在のアラブ東部で使われる「東アラビア数字(٠, ١, ٢...)」となりました。
ヨーロッパの人々から見れば「アラビアから伝わった画期的な数字」であったため「アラビア数字」と命名されましたが、アラブ世界自身にとっては「インドから伝わった数字」であったため、アラビア語では現在でも数字のことを「アル=アルカーム・アル=ヒンディーヤ(インド数字)」と呼びます。この呼称の視点の相違こそが、現代の私たちが感じる混乱の根本原因です。