刺青の世界には古くから「神仏を彫ると重さに負けて運気を落とす」「半端な気持ちで入れると祟りがある」といった一種の都市伝説が存在します。とりわけ最高位に君臨する大日如来に関しては、「彫った後に事故に遭った」「体調を崩した」といった俗説がネット掲示板やSNSで語られることも少なくありません。
しかし、仏教の教義において仏が人間に呪いや祟りを下すことは絶対にありません。ではなぜ、このようなタブー視や「仏像の刺青で後悔した」という声が存在するのでしょうか。取材を進めると、そこには精神的・物理的な3つの現実的要因が浮かび上がってきます。
第1に、構図や配置に関する伝統的な禁忌(タブー)です。仏教美術や伝統和彫りの世界では、尊い仏の尊顔を下半身(腰から下や足元)に配置することは著しい不敬とみなされます。無知な施術者によって不適切な部位に彫られたり、他ジャンルのタトゥーと無秩序に混ざり合ったりすることで、後から強い後悔や居心地の悪さを抱くケースです。
第2に、デザインの圧倒的な重厚さに自身のライフスタイルが負けてしまう精神的後悔です。若気の至りやファッション感覚で選んだものの、銭湯やプールなどの利用制限といった日本の社会的な壁に直面した際、「なぜここまで重い図柄を背負ってしまったのか」とプレッシャーに苛まれる人が後を絶ちません。
第3に、中途半端な未完成放置による視覚的後悔です。筋彫り(輪郭)だけで力尽き、墨ボカシやカラーが入らないまま放置された神仏の図柄は、愛好家コミュニティでも最も忌避されます。これらの現実的な挫折が、転じて「仏の重圧に負けた」「祟られた」という俗説へとすり替わっているのが真相です。