当時の菅直人内閣は、原発事故対応の混乱と支持率低迷によってすでに瀕死の状態にあった。その中で浮上した「復興の司令塔」づくり。縦割り行政の弊害を打破し、霞が関を強烈に束ねるリーダーとして白羽の矢が立ったのが、歯に衣着せぬ剛腕で知られた松本氏だった。
後の復興庁へとつながる準備組織の立ち上げにおいて、内閣府主導の強力なトップダウンが不可欠とされていた。民主党内でも調整型の政治家では官僚機構を動かせないという強い危機感があり、環境相として実績を残していた松本氏に過剰な期待が集中したのだ。しかし、権限が一元化されていない過渡期の組織構造と、永田町の政局優先の力学が、結果として現場指揮官であった松本氏を孤立無援の防波堤へと追い込んでいくことになる。