「火の国」の根幹に迫る上で欠かせないのが、第12代景行天皇の九州巡幸にまつわる伝承です。『日本書紀』の記述によると、景行天皇が八代海(不知火海)を舟で航行していた際、夜の闇の中で行き先を見失いました。その時、はるか前方の海岸線に燃えさかる炎が見え、その火を道標として無事に岸へたどり着くことができたと記録されています。
上陸した天皇が「あの火は何の火か」と土地の者に尋ねたところ、「主のいない火であり、人の灯したものではありません」と答えました。このことから「知らぬ火」、すなわち「不知火(しらぬい)」と呼ばれるようになり、この地を治めていた豪族が火の君 景行天皇 伝説を通じて朝廷から「火君(ひのきみ)」の姓を賜ったと伝えられています。
では、現代科学の視点で火の国 不知火の真相を検証するとどうなるでしょうか。気象学および海洋物理学の研究により、不知火の正体は「八代海特有の干潟で発生する蜃気楼現象」であることが解明されています。旧暦8月1日前後の未明、干潮を迎えた遠浅の海において、夜間の放射冷却で冷えた上空の空気と、引き潮で温められた干潟の地表面との間に大きな温度差が生じます。そこに民家の灯火や漁火(いさりび)の光が異常屈折し、無数の火が明滅・離合するように見えるのです。
古代の人々にとって、誰もいないはずの暗黒の海上に無数の火が揺らめく光景は、人智を超えた神仏の顕現に他なりませんでした。この神秘の怪火が、熊本の地に「火」の絶対的な象徴性を刻み込んだ原点といえます。