「咳をしても一人」――このあまりに有名な一句は、放哉が1925年の秋、小豆島八十八ヶ所霊場の奥の院・南郷庵の庵主に落ち着いた時期に詠まれた。肺結核と肋膜炎に体を蝕まれ、咽喉を激しく震わせて咳き込んでも、背中をさすってくれる者は誰もいない。ただ夜の静寂だけが部屋を満たしている。だが、近年の研究や書簡の再検証が明かすのは、単なる病者の自己憐憫ではない。
当時の放哉は、島民や支援者から施しを受けながらも、酒をねだり、時に傲慢な態度を取る厄介な隣人でもあった。美化された聖人君子などでは決してない。エゴイズムにまみれ、死の恐怖に怯え、それでもなお自らの惨めさを冷徹に観察するもう一人の自分がいた。「咳をしても一人」という言葉の真意は、寂しさの吐露を超え、人間が究極の孤絶に直面した瞬間の「事実」を一切の装飾なしに切り取ったリアリズムにある。1926年4月7日、荒れ狂う春の嵐のなか、放哉は41年の無軌道な生涯を閉じた。