『Fight Song』が放つ説得力は、作られた虚構ではなく、レイチェルプラッテンの過酷な経歴という現実の裏付けがあるからこそ生まれています。1981年生まれのレイチェルが音楽の道を志したのは大学時代でしたが、そこから世界に名を知られるようになるまでには、実に14年もの歳月を要しました。
2003年に自主制作アルバムを発表して以降、彼女は小さなワゴン車に楽器を積み込み、全米のライブハウスやバーを回る過酷なドサ回りを続けました。観客がわずか数人しかいない夜や、ギャラすら支払われないステージも日常茶飯事でした。2011年にもアルバムをリリースしたものの商業的な成功には程遠く、気づけば年齢は30歳を過ぎていました。
音楽業界の関係者からは「もう若くない」「女性ポップシンガーとしての賞味期限は切れた」と冷酷に告げられ、親しい友人たちが結婚や昇進など安定した人生を歩む中、彼女は「自分はただ夢にしがみつく愚か者なのではないか」という深い自己否定と孤立感に苛まれます。
プロデューサーのデイヴ・バセットと共にピアノの前に座り、涙を流しながら書き殴ったのがこの曲でした。当時の公式インタビューで彼女は次のように語っています。
「この曲を書いたとき、私は人生で最も打ちのめされていました。音楽業界で成功するためではなく、『私にはまだ価値がある、まだ歌い続けられる』と自分自身に言い聞かせるためだけに作ったパーソナルな祈りだったのです」
他人に聴かせるためではなく、自分を救うために紡ぎ出されたメロディは、やがてSNSや小規模ラジオ局を通じて草の根的に拡散。2015年、メジャーレーベルであるコロムビア・レコードとの契約を果たし、34歳にしてビルボードチャートを駆け上がるという、ポップス史上稀に見る遅咲きの奇跡を実現させました。