今でこそトップアーティストとして君臨する倖田來未ですが、その船出は順風満帆とは程遠いものでした。彼女の年齢と経歴を振り返ると、京都府京都市伏見区に生まれ、母親が琴の師匠、祖父が尺八を嗜むという伝統芸能の息づく家庭環境で育ちました。幼少期から日本舞踊を習い、卓越したリズム感と身体表現の基礎を叩き込まれていた彼女は、1999年の「avex dream 2000」オーディションで準グランプリを受賞し、事務所入りを果たします。
2000年11月にアメリカで先行デビューし、同年12月にシングル『TAKE BACK』で国内デビューを飾った倖田來未のデビュー当時は、クラブシーンを意識した本格派R&B路線でした。しかし、卓越した歌唱力を持ちながらも、当時は浜崎あゆみや宇多田ヒカルといった絶対的女王が音楽チャートの頂点に君臨していた時代。ビジュアル面でも地味さを指摘され、オリコンチャートの上位に食い込めない苦節の日々が続きました。
公の場で見せた表情の翳りや当時の悔しさを、彼女は後に「ラジオの生放送に行っても誰も自分を見てくれなかった」と振り返っています。転機が訪れたのは2003年、ゲームソフト『ファイナルファンタジーX-2』のテーマ曲『real Emotion/1000の言葉』のヒットと、2004年の映画『キューティーハニー』の主題歌への抜擢でした。従来のJ-POP界ではタブー視されがちだった「セクシーさ」を前面に押し出し、堂々と腰を振って歌い踊る姿は、瞬く間に世間の視線を強奪しました。
2005年には12週連続シングルリリースという前代未聞のプロジェクトを完遂し、日本レコード大賞を受賞。世間が名付けた「エロかっこいい」というキャッチコピーを自らの看板へと昇華させ、倖田來未のギャル時代は社会現象へと登りつめました。それは偶然の産物ではなく、どん底の悔しさをバネに自らの見せ方を極限まで研究し尽くした、緻密なセルフプロデュースの勝利だったのです。