カープ長谷川昌幸の現在と転身劇!ドラ1右腕の引退理由と成績の真実

カープ長谷川昌幸の現在と転身劇!ドラ1右腕の引退理由と成績の真実

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長谷川昌幸氏は銚子商業高校で甲子園準優勝を経験し、1995年ドラフト1位で鳴り物入りで広島東洋カープに入団しました。入団当初は粗削りながらも、150km/hに迫る豪速球と落差の大きいフォークボールは球界随一のスケールを誇り、次代のエース候補として大きな期待を集めていました。

本格的に頭角を現したのは2000年代初頭のことです。背番号が45から伝統の背番号16へと変更された2002年、先発ローテーションの柱として自己最多となる13勝をマーク。無四球完封を記録するなど獅子奮迅の活躍を見せ、低迷期にあえいでいたカープ投手陣を牽引しました。しかし、その後は右肩や肘のコンディション不良、制球の乱れに苦しむシーズンが続き、好投と乱調を繰り返すジレンマに陥ります。

時期・区分主な成績・指標推定年俸・ステータス編集部の分析・評価若手育成期(1996〜2001)ファームで先発ローテを経験、一軍で登板機会を徐々に拡大600万〜1,800万円前後恵まれた体格から放たれる直球の威力は突出していたが、制球難が課題だった。全盛期・主力時代(2002〜2005)2002年に13勝、年間200イニング超を投げる大車輪の活躍最高推定5,500万円規模へ到達球威で圧倒する奪三振能力を発揮。打線の援護が薄い試合でも孤独に腕を振った。円熟〜移籍期(2006〜2010)故障とリリーフ転向、先発再転向の狭間で登板数が減少2,000万〜3,500万円前後で推移故障が投球フォームのバランスを崩し、本来のスピードボールに陰りが見え始めた。オリックス・引退(2010〜2011)通算42勝63敗、防御率4.33(NPB通算)最終年:約1,500万円パ・リーグで再起を図るも新天地での壁に阻まれ、プロ16年目で現役を退いた。

通算成績の数字だけを見れば、借金が先行しているため過小評価されがちです。しかし、当時はカープが長きにわたるBクラスに沈んでいた受難の時代でした。エース格として相手球団のエースと常に投げ合い、打線の援護が少ないなかでも黙々とイニングを稼ぎ続けたタフネスさは、チームを支えた紛れもない功績といえます。

山本 拓海
著者

山本 拓海

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。