1946年1月5日、三笠宮崇仁親王と百合子妃殿下の長男として誕生された寛仁親王は、学習院大学法学部を卒業後、イギリスのオックスフォード大学へ留学されました。皇族として留学先で自ら家計簿をつけ、庶民的な生活を送られた経験は、殿下の柔軟な価値観の礎となります。1972年の札幌冬季五輪組織委員会事務局に勤務された際には、トレードマークとなる豊かな口髭を蓄え始め、親しみやすい「ヒゲの殿下」として広く国民に認知されることとなりました。
殿下の行動力は従来の皇室像を軽やかに塗り替えました。ニッポン放送の深夜ラジオ番組『オールナイトニッポン』でパーソナリティを務め、皇室の内情やご自身の私生活をユーモアたっぷりに語るなど、メディアを通じて国民と直接対話するスタイルを確立。銀座のバーで一般の客と肩を並べてグラスを傾け、時には身分を隠さずに率直な人生論を交わすなど、人間味豊かなエピソードには事欠きませんでした。
しかし、その奔放に見える振る舞いの裏には、常に「国民に寄り添う皇室の役割とは何か」という真摯な問いかけが存在していました。自著『トモさんの言いたい放題』でも語られているように、敷かれたレールの上を歩むことに対する強烈な抵抗感と、皇族という特異な立場から社会にどう実質的な貢献を果たせるかという模索が、規格外のアクションへと結実していたのです。