1996年8月4日午後9時16分、東京都文京区の順天堂大学医学部附属順天堂医院の一室で、渥美清(本名・田所康雄)さんは静かに息を引き取りました。享年68。公表された直接の死因は転移性肺がんでした。
渥美さんの闘病生活は、決して短期間のものではありませんでした。発端は1991年、定期検診で肝臓がんが見つかったことに遡ります。当時は外科手術によって病巣を切除し、復帰を果たしたものの、1994年にはがんが肺へ転移していることが判明しました。現代のように分子標的薬や免疫チェックポイント阻害薬が確立されていなかった1990年代中盤、転移性肺がんは極めて過酷な予後を意味していました。
主治医や限られた近親者を除き、松竹の首脳陣や盟友である山田洋次監督、妹・さくら役として27年間寄り添った倍賞千恵子さんにさえ、正確な病状は最期まで明かされませんでした。激しい疼痛や呼吸苦に襲われながらも、周囲に一切それを悟らせなかった背景には、「車寅次郎は日本人の夢であり、寅さんが病気で苦しむ姿を観客に見せるわけにはいかない」という、表現者としての凄絶な覚悟がありました。