横山裕の人間性を語る上で避けて通れないのが、極めて過酷な環境を生き抜いた横山裕の生い立ちです。本名は横山侯隆(よこやま きみたか)。芸能界入りの際、当時の事務所社長・ジャニー喜多川氏から「呼びにくい」という理由で芸名「裕」が与えられたエピソードは有名ですが、その華やかな芸名の裏には想像を絶する少年時代がありました。
幼少期に両親が離婚し、母親の再婚相手である義父との関係に深く苦悩。食事もままならない極貧生活を経験し、中学卒業後は高校へ進学せず、家計を助けるために建設会社へ就職しました。ニッカポッカを履いて工事現場の足場を組む日々を送りながら、母の勧めで受けたオーディションに合格し、関西ジュニアとしての活動を開始します。
その後、2010年春、ソロコンサートツアーの最中に最愛の母が急逝するという最大の悲劇に見舞われます。当時20代後半だった横山は、悲嘆に暮れる間もなく、父親の異なる2人の弟(6歳下と8歳下)を自分が養うことを即座に決意しました。ここから紡ぎ出された横山裕の弟のエピソードは、多くのファンの胸を打っています。
- 学費と生活費の完全支援:弟2人の大学進学費用や住居費、生活費をすべて自腹で負担し、自立するまで親代わりとして育て上げた。
- 弟の結婚式でのサプライズ:次男の結婚式において、多忙なスケジュールの合間を縫って密かに猛練習を重ねたトランペットで「家族になろうよ」を生演奏し、会場を涙に包んだ。
- 記憶喪失の弟を支えた絆:一時期、記憶喪失に陥った弟に対し、焦らせることなく過去の思い出の地を巡りながら記憶の回復に寄り添い続けた。
自らが過酷な環境に置かれながらも他者を守り抜くという強烈な責任感は、彼のすべての活動における揺るぎない原動力となっています。