運動会の徒競走や学年対抗リレーにおいて、なぜ「天国と地獄」はこれほどまでに強固な定番BGMとしての地位を築いたのでしょうか。その背景には、人間の運動生理学に基づいた合理的な必然性と、戦後日本の学校教育現場におけるメディア普及の歴史が存在します。
第一の理由は、楽曲が持つ圧倒的なスピード感とテンポ(BPM)の一致です。一般的に運動会で流れる「天国と地獄」のクライマックス部分(ギャロップ)の演奏テンポは、BPM 168〜176前後に設定されています。スポーツ科学の知見において、小学生から中学生が全力疾走する際のピッチ(1秒あたりの歩数)は毎分約170〜180歩と極めて近く、この二拍子の推進力あふれるビートが子どもの走運動を自然と前へ前へとドライブさせる効果を持っています。音響心理学的にも、人間は自身の心拍数や目標運動テンポに近い音楽を聴くとアドレナリンが分泌され、強い高揚感と集中力を引き出されることが実証されています。
第二の理由は、昭和30〜40年代における学校放送設備の近代化と教材レコードの規格化です。文部省(当時)の指導のもと、全国の小中学校に校内放送機器やスピーカーが急速に整備された高度経済成長期、大手音源メーカー各社(日本コロムビアやビクターなど)はこぞって「運動会用行事用レコード」を企画・販売しました。その際、誰にでもわかりやすく競技の緊張感と祝祭感を演出できる器楽曲として白羽の矢が立ったのが、パブリックドメイン(著作権消滅)であり演奏効果の高い西洋クラシック曲でした。この時期に「徒競走=天国と地獄」というフォーマットが全国の教員間で完全に共有され、学校行事のスタンダードとして定着したのです。