宮沢りえの10代終盤を語る上で避けて通れないのが、1991年に刊行されたヌード写真集『Santa Fe』と、1992年末の貴花田(現・貴乃花光司氏)との電撃婚約およびその後の破談です。ネット上では長年、センセーショナルな憶測や陰謀論めいた噂が飛び交ってきましたが、関係者の回想録や一次報道を突き合わせると、そこには構造的な力学が働いていたことが判明します。
まずサンタフェ写真集の真相についてです。一部で囁かれた「無理やり脱がされた」という俗説に対し、撮影を担当した写真家・篠山紀信氏は後に複数の対談でその経緯を語っています。ニューメキシコ州サンタフェでのロケ中、母・光子氏の提案が契機となったのは事実であるものの、カメラの前に立ったりえ本人の中に「自らの美しい瞬間を最高峰の芸術として残したい」という表現者としての明確な意志が芽生えていました。結果として完成した作品は、猥雑さを排除した圧倒的な造形美と光の陰影に満ちており、累計155万部という出版史上の金字塔を打ち立てました。
続いて、日本中に衝撃を与えた貴花田との婚約破棄の理由です。1992年11月、19歳同士の「世紀のカップル誕生」に列島は狂喜乱舞しました。しかし、わずか2ヶ月後の1993年1月、事態は一転して白紙撤回へと向かいます。破談会見で彼女が口にした「愛情がなくなったわけではない」という痛切な言葉は、多くの人々の胸を締め付けました。
この破談の背景には、角川や相撲界という伝統的閉鎖社会と、独立独歩で娘をプロデュースしてきた母・光子氏との間における「将来設計の決定的な不一致」がありました。梨園や角川の世界では、妻には「相撲部屋のおかみさん」として夫と部屋を全面的に支える裏方への転身が絶対視されます。一方で、世界的なスター女優へと育て上げる野心を抱いていた光子氏、そして自らの表現活動を続けたいりえ本人との間で、埋められない溝が生じたことが最大の決定打でした。ネット上で噂された金銭トラブルや陰謀ではなく、家父長制的な旧来の枠組みと、近代的な個人のキャリア意識との衝突が引き起こした必然の結末であったと言えます。