原晋監督の経歴を語る上で欠かせないのが、選手引退後に経験した中国電力での営業マン時代です。中京大学卒業後、実業団ランナーとして活躍するも度重なる故障により27歳で現役を引退。陸上部を離れ、一社員として配属された営業部門で、省エネ機器「エコキュート」の普及などに携わり、社内トップクラスの営業実績を残しました。
このサラリーマン時代に培った「相手のニーズを把握し、動機付けを行うプレゼン能力」や「数字に基づく進捗管理」こそが、のちの青山学院大学再建の強固なバックボーンとなりました。2004年に青学大監督へ就任した当初は、長年の低迷により部員の意識改革に難航しましたが、ビジネスの手法をチームマネジメントに直輸入することで、徐々に組織の体質改善を推し進めました。
そして、その挑戦を現場の最前線で支え続けたのが妻・原美穂さんの存在です。町田寮の寮母として、約40名近い男子学生の食事管理から生活環境の整備、健康観察までを長年一手に引き受けてきました。自著や過去のドキュメンタリー番組でも語られている通り、美穂さんは単なる「寮のお母さん」にとどまらず、監督と選手の間に適度な心理的バウンダリー(境界線)を保つクッション役として機能してきました。監督には言えない悩みや体調の異変を美穂さんが早期に察知することで、選手が精神的な孤立を防ぐセーフティネットが機能しています。