離婚の決定打となった最大の悲劇は、子供を授かりながらも産み育てることができなかった過酷な現実にありました。島倉千代子は藤本氏との婚姻中、実に3度の妊娠を経験していました。
しかし、当時の島倉千代子はレコード会社や所属事務所の莫大な収益を支える絶対的な大黒柱でした。過密を極める全国コンサートのスケジュールや億単位の違約金が発生する興行の都合、そして周囲からの容赦ないプレッシャーにより、出産のために長期休養を取ることが許されない状況に追い込まれていました。
結果として、過労による流産や苦渋の決断による人工妊娠中絶を余儀なくされ、母となる夢を完全に断ち切られることになります。愛する夫の子供を宿しながらもその命を守れなかった自責の念は、彼女の心に消えることのない深い傷を残しました。
島倉千代子はその後、水子となった我が子に「忍(しのぶ)」と名付け、生涯にわたって供養を続けました。子供を失った計り知れない喪失感と罪悪感は夫婦の絆を決定的に引き裂き、2人が別々の道を歩む最も悲痛な引き金となったのです。