昭和40年代後半の福岡は、独自のジャズ文化やアングラカルチャーが花開いていた街であった。朝日生命を退職した後の森田一義は、福岡市中洲周辺のバーやジャムセッションの場に出没し、知る人ぞ知る「恐ろしく面白い素人」として名を馳せていた。
当時の現場を目撃していた博多の文化人やジャズミュージシャンの回想録には、彼の規格外の才気が克明に記されている。演奏の合間にふらりと現れては、「インチキ外国語(中国語、ハングル、フランス語等の完璧な発音模倣)」や「四カ国親善麻雀」「イグアナの形態模倣」といった前代未聞の即興芸を披露し、プロの表現者たちを抱腹絶倒させていたという。
この噂を聞きつけたのが、福岡へツアーで訪れていた天才ジャズピアニスト・山下洋輔率いるトリオの面々だった。ホテルの部屋でタモリの芸を目の当たりにした山下洋輔らは度肝を抜かれ、「福岡にとんでもない怪物がいる」と東京のカルチャーシーンに持ち帰った。これに強く反応したのが、昭和カルチャーの頂点に君臨していた漫画家・赤塚不二夫である。
赤塚不二夫をはじめとする東京の文化人たちはカンパを募り、「森田一義を東京に呼ぶための交通費と生活費」を工面した。上京したタモリは、赤塚の目白の自宅マンションに居候し、赤塚の服を着て、赤塚の小遣いで飲み歩くという破天荒な生活をスタートさせる。赤塚はタモリの才能に心底惚れ込み、「お前は何も心配しなくていい、好きなようにやれ」と全面支援を惜しまなかった。朝日生命で培った「人を心地よくさせ、懐にスッと入り込む人間力」は、希代の文化人たちをパトロンへと変えてしまうほどの引力を持っていたのである。